カカオの香り
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おそるおそるオーブンの扉を開いたが、予想以上の惨状に手が止まった。「あーあ! リビングにいる姉の美奈子があきれた声を上げる。 部屋の中には、甘く焦げ臭いカカオの香りが充満している。 美奈子の言葉に涙目になりながらミトンを両手につけ、 オーブンから、チョコレートケーキになるはずだった、ぺしゃんこで真っ黒な物体を取り出す。 「こりゃ派手に失敗したわねぇ。」 気付くと美奈子がすぐそばに来て、肩越しにケーキをのぞきこんでいた。 何がいけなかったのだろう? 分量を間違えた?混ぜるのを失敗した?焼く時間を勘違いした? どこも間違えてはいない気がするが、考えれば考えるほど、どこもかしこもおかしかった気がする。 日向子は肩を落とした。 「まぁまぁ。誰にあげるつもりだったの?父さんなら食べてくれるんじゃない?」 「父さんじゃないもん!」 泣くほどのことでもない。泣きたくないのに、涙がまた目に一杯たまる。 「あぁぁぁぁ。わかった、わかった!友チョコってやつでしょ。友達とチョコ交換するのね?私の作ったトリュフ分けてあげるから泣かない泣かない!」 「・・・っ」 姉の言葉に不服だったが、このままでは友達にもチョコレートケーキを渡せないのは確かだ。 手作りチョコのお菓子を交換しようと約束していたのだ。ここはありがたく甘えることにした。 バレンタイン当日―――― 日向子は重い足取りで登校していた。 「おはよう 日向っ!!」 ランドセル越しに、幼稚園以来の友人、早紀が声をかけた。 が、とてもそんなさわやかな挨拶をかわせる気分にはなれない。 「・・・オハヨ。」 めずらしくげんきのない日向子に気がつかないのか、早紀は嬉しそうに話しかける。 「ねっ、作ってきた?チョコレート。私ものすごい楽しみだよー!!私が作ったのはね〜・・・ふふんっ今はナイショ!あとで交換したときに見て! ほらっ、遅刻するよーぅ!!早く行こ行こっ!」 そういって日向子は早紀にランドセルをぐいぐい押されて校門をくぐったのだった。 日向子が沈んでいたのは友達と交換するチョコが美奈子の作ったお菓子だからではない。 今年こそは、あげたい相手がいたからだ。 だからこそチョコレートケーキなんていう大作に挑戦したのに――――。 日向子はケーキを焼いたことがなかったのである。 真っ黒なチョコレートケーキは、焦げた部分を取り除かれ、きれいにラッピングされて日向子のかばんに納まっていた。 |
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